絃楽器のルーツから日本文化の成り立ちを解明する
理事長・箏曲家 岡部秀龍(修吉)
◇点と点
絃楽器は中近東で発生したと言われているが、手元の日本の絃楽器と、どのような繋がりをもっているのだろうか……ということを、ずっと疑問に思っている。
民族音楽という地球上の特定地域における「点」についての探求の深度は深まっても、その点と点を結ぶ「線」がよく分からない。
現代日本における伝統楽器の原型は、奈良時代までに日本へ伝来されたとされる。奈良時代の前、古墳時代には琴を弾く姿をかたどられた埴輪がよく知られている。その前になると、もうよく分からない。
この日本文明の地において、いまの日本国家の成立以前から縄文文化を背景にした「国家」が存在したと言われている。
いくつかの古代国家に、渡来系の民族国家が習合、融和をすることにより大和朝廷が成立していったことが、記紀や風土記、また各地の神社の伝承などから伺えるのだと言う。
◇日本民族は混血民族
さらに、最近の遺伝子研究によると、日本民族とは、縄文人と渡来人との混血民族であることが分かってきている。
世界の他の地域において民族が行き合うと、お互いに相手を消滅させようというせん滅戦となる。負けた民族の男達は皆殺しとなり、女子どもは勝者の奴隷となる。例外なく行われてきた民族のせん滅戦は、地域によっては今も継続されている。
しかし、この日本文明の地においては、古来の民族と、渡来した民族とは概ね平和裏に融和していったことがDNAの分析により分かるのである。
多少の衝突はあったのかもしれないが、せん滅し合うこと無く混血していく。
古事記においてイザナギ・イザナミの初子であるヒルコは、近親婚による奇形児であったことが指摘されている。つまり、近親婚を避けてなるべく遠い血筋と婚姻関係を持つことが教訓的に示唆されているのである。
こうした記紀における記述と、日本民族が平和裏に民族を融合させていった混血民族であることとは無縁ではないだろう。
つまり、民族の融和とは日本文明最大の特徴であり、日本文明における統一国家の言わば国是であった。
◇文化の融和
さて、日本における融合以前の諸民族の文化とはどのようなものだったのだろうか。
諸民族の文化がその人々の生活に、精神に深く浸透したものであるならば、民族同士の融合とともに、民族文化も融合し、あらたな〝混血文化〟を形成したのではないか。
であるならば、現代日本人から融合以前の民族の特徴を辿ることは、まだDNAには明らかであったとしても、形象的には困難であろうことを考えれば、文化の痕跡を辿ることはまさに不可能に近いだろう。
わずかに、日本各地の伝承、埴輪などの形象に痕跡が認められるのみである。
つまり日本文明において文化というものは、いくつかの民族文化が折り重なっていることが推察され得るものの、あたかも作為的と思われるほど、完璧に一つの文化として現代へ伝承されているのである。
◇文化の〝DNA分析〟
いったん融合された文化を分解することは不可能だと思われる。
日本民族へ融合された、民族や種族としては最も最近である、鎌倉中期に渡来したアイヌ人でさえ、わずか八世紀前に携えてきた文化を捉えることはほぼ不可能とされる。現代、アイヌ文化とされている言語や歌唱、舞踊などは比較的最近に類推や創作をなされたものであるという。
あたかも遺伝子の塩基配列を分析するように、日本文化を分析して、その成り立ちを解明することは、果たして可能なのだろうか?
漠然と文化を辿ったところで雲を掴むような話だろう。
◇ルーツの旅へ
そして話は冒頭に戻る。
私の専門は箏、絃楽器である。絃楽器に関しては、この二千年間に限定すれば、冒頭に述べたようにある程度の流れは分かっている。
二千年間に限定するかたちで、現代において読み解かれている、各民族の古代文明における器楽、しかも絃楽器に絞り、文献や研究書を紐解くことにより、一定の事実関係は判明する可能性もあるのではないだろうか。
箏は、雅楽の楽器であり、唐学として日本へ輸入されたと言われてきた。したがって、箏の原型は中国にあるというのが定説である。
しかし、雅楽士には、渡来人である秦氏の末裔が多い。
民族文化というものが民族の風俗や精神に深く浸透したものである、という前提に立てば、雅楽は単純に輸入されたものなのではなく、秦氏の渡来と共に日本へ到来したものである、と考えたほうが自然だと思われる。
さらに、秦氏はそのルーツは中国大陸西域の弓月国にあったことが文献に記されている。
そして秦氏の祖先は、日本へ渡来したばかりでなく、弓月から至った秦朝など中華王朝の政治へも関与している。
つまり、中国大陸の文化と日本文化との類似性、すなわち箏の類似性に関しては、単純に中国大陸から日本への文化の輸入というよりはルーツが同一であるという捉え方にも一定の蓋然性があるのではないかと思う。
当時の巨大商社でもあった寺院、東大寺宝物殿に伝わる楽器は、交易の中で伝来したものであるがその楽器の演奏手法は明らかではない。
楽器はその楽器を扱った文化をもつ人々と共に渡来する必要があった。
また楽器は、その文化の帰属する民族と共に移動した。
いくつものディアスポラ=流浪民族が日本へたどり着き、ディアスポラは日本人の祖先の一つとなり、そのディアスポラの民族文化は古来の文化に重畳し、現代日本人および現代日本文化へと続くのである。
この二千年間の絃楽器の動静に着目することにより、我々の絃楽器のルーツを辿る営みは、それが日本人や日本文化の成り立ちを解明する一端となり得るのではないだろうか。
◇シルクロード
中近東から日本へ至る絹の道、シルクロードは主としてユダヤ商人の交易路だったのだと言う。
日本民族は北方や南方にもルーツがあるが、日本神話や中国に残る文献に拠る限り、最も最近ではユーラシア大陸との関係性が深いと言えるだろう。
箏の絃は、現代では専ら化学繊維が用いられるが、もともとは絹の糸だった。
シルクロードにおける各地の民族文化の実情を掘り探ることにより、それら「点」を結ぶ線が浮かび上がってくるのではないだろうか。
◇「点」の検証
さて、これから様々な視点から、シルクロードに点在する民族文化について掘り下げていきたい。
そのスタートラインをユダヤの民族音楽としてみた。
ルーツを辿る旅は、40年前に著された水野信男氏の本書から。
何か足がかりとなるものがあるだろうか。