渡来人の痕跡(高麗編)

埼玉県西部、日高市はセメントの街だ。

日高に近づくと、太平洋セメントのでっかい煙突。工場の周りは住宅地になってるが、道のところどころで、かつて原料や製品を運んでいた専用線の廃線跡を渡る。

セメント工場からさらに西へ、関東平野と関東山地が混ざり合っているような丘陵に、出世明神との異名をとる神社がある、と知人から聞いたのは10年ほど前であったか。

筆者の地元より、遠からず近からず。思い立つと件の地に吸い寄せられるように車を走らせいた。

現在の埼玉県日高市にあるこの地は、かつて「武蔵国高麗郡」と呼ばれていた。

この高麗とは、朝鮮半島にあった古代の高句麗国に由来する名称である。

高句麗は高麗(こま)とも呼ばれ、満州族の祖先・女真人による国であった。日本の年表で言うところの弥生から飛鳥時代あたりまで存在していたが、いまの朝鮮族、韓人の国である新羅に滅ぼされ、王族や高句麗人は日本へ逃れて大和朝廷に帰化した。

この高麗の人々は、朝廷の命により今の埼玉県の西部にある日高市に集められ高麗郡が建郡なされる。今から千三百年前の話である。

郡長には、当時高句麗から使者として大和朝廷に赴き、新羅による侵略により窮地に陥る母国の救援要請にあたっていた古代高句麗王族の血族にあたる高麗若光が任ぜられ、日本において「高麗王」と呼ばれるようになる。

セメント工場のある平地から山手へ向かう。

市街地や小集落を抜け、高麗川のある谷を渡りまた登っていくと拓けた丘陵地帯に入る。

等高線に沿うような緩やかにカーブする道を進むと、やがて山肌に、鄙においては目を見張るような大規模な伽藍を有する寺院が目に飛び込んできた。そこが聖天院であることを地図で確認した。

「高麗王」の霊廟が、この寺院の境内にある。

脇道に入り、田畑の中を進むと聖天院の駐車場が現れる。車をそこへ入れ、山の斜面に配された伽藍を眺めながら、浅草の雷門のような大きな提灯をつるした山門に向かって参道を上り、その山門の手前を右方向へ進むと小さなお社のような霊廟が姿を見せた。

その霊廟の門をくぐると、その傍らには、「羊」の石像が霊廟に寄り添うように置かれていた。

この石羊について調べてみると、日本に縁のある英国人エリザベス・アンナ・ゴルドン女史の中国・朝鮮の調査により一般に知られていることが分かった。

石羊は李氏朝鮮時代に、王陵の守護として置かれたらしい。

霊廟の石像はそうした故事に因んで、どなたかが寄贈されたもののようだ。近隣都市である川越市の文字と氏名が傍らに刻まれていた。

ちなみに、李氏朝鮮時代の朝鮮半島は歴代中華皇帝に隷属する地域、いわゆる中国の一部であったが、そこで韓人を支配していた李氏とは、古代高句麗の王族と縁は無いものの同じ女真人であった。

古代の日本に羊は存在しなかった。

高麗の人々のような渡来人が羊を大陸から持ち込んだ、という記録は残っている。

聞いた話だけれども、栃木県佐野市では羊毛生産が行われ、その羊毛によるフェルトが朝廷へ献上されたのだと。しかし産業として定着することなく、すぐに廃れてしまう。

しかし遊牧の民の記憶は、渡来人によって今の日本人に織り込まれているに違いないだろう。

高麗王を祀る霊廟から山裾の道を北へ進むと、すぐ、高麗王こと高麗若光を主祭神とする高麗神社の鳥居が目に飛び込んできた。

高麗神社の境内は明るい雰囲気で、散策が心地よい。

長い参道を歩いて行くと奥が一段高くなり、そこにまだ真新しい白木が眩く感じられる拝殿が置かれていた。地酒の〝高麗王〟の樽が奉納され積み上げられている。

境内の木々や燈籠などには、皇族や著名な政治家の名前が目立つ。

出世稲荷の異名をとる所以だ。

朝鮮半島縁の神社であるためか、韓国の政府や民間の友好団体の名前も多く観られた。

神社の様式は純然たる日本のそれ、であるが、「天下大将軍・地下女将軍」と書かれた魔除けである将軍標も境内にはある。朝鮮半島の村落の境界に置かれた、トーテムボールのような二本対の大きな柱である。

何となく風物が日韓折衷の感じもするが、それはあくまでも現代の〝味付け〟であるのだろう。神社としては神道の祭祀の様式から全く外れるものでは無い。

そして、代々の高麗神社宮司は、高麗若光の末裔が務めている。

なお、平成27年には非公式ではあるけれど天皇・皇后両陛下も神社を訪れている。

高麗王とは、大和朝廷から与えられた呼称であるが、どうも皇室の家系図にも列せられているようである。

高麗の郷には曼珠沙華の群生で有名な巾着田があり、隣接するようにして「高麗村石器時代住居跡」がある。

住居跡とは縄文時代の竪穴式住居群で、この地が古くから拓かれた場所であったことを示していると言えるだろう。

筆者は霊廟と高麗神社を辞した後、この住居群に立ち寄ってみた。

国道脇に車を停めて、果樹や畑の横のちょっとした丘を登っていくと、きれいに見学用に整備された竪穴の跡が寄り重なるように残されている。

河川も近く狩りや採取にも適した山にも近く、古くから人々が集住してきた、「高麗郡」の豊穣さを感じさせるものだった。

関連動画「渡来人の伝説・高麗本郷」

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