渡来人の痕跡(芝山の丘編)

大型旅客機が頭上を舐めるように通過していく。

芝山遺跡は成田空港にアプローチする航空機の、進入経路の真下に位置している。

世界で最も過密な空港の一つである成田は、世界中から飛来してきた旅客機を、今日も次々に迎い入れていた。

芝山町営の博物館に隣接した公園の丘には、レプリカの埴輪群が並んでいて、筆者は旅客機のエンジン音を背景に、それらの埴輪に見入っていたのである。

ここまで来る道すがら、車を走らせていると街角に埴輪のモニュメントが立っていてギョッとさせられた。

芝山町内の道のあらゆるところに埴輪が立たされている……愉快な街のギミックではあるが、初めてであると驚愕してハンドルを誤りそうになる。

そうして丘陵を縫って登っていくと、〝彼ら〟の本拠地が現れた。

特徴的な帽子や美豆良(もみあげ)、こうした習俗は埴輪だけに観られる特徴である。

この芝山に出土する埴輪群は、今の千葉県内にある窯で製造されたものなのだという。二カ所あった窯元から関東を中心とした広域へ運ばれて、その各地の古墳から出土しているのである。

筆者の故郷である群馬県においても大量の埴輪が出ているが、その意匠は芝山のそれとほぼ同じに思われる。

この埴輪に模されている人びとは、各地を朝廷に任ぜられて治める豪族に仕えていた一族である。

埴輪の造られた5世紀の頃は、大和朝廷が大量の渡来人を受け入れて帰化させていた時期に重なる。こうした渡来人たちは携えてきた技術や知識をもって朝廷に仕えた。

埴輪の三角の帽子、美豆良。その特徴的な習俗は、東北大学名誉教授で美学者の田中英道氏はユダヤ教徒の特徴との相関性を指摘している。

イスラエルを追い出された古代ユダヤ人は、東西へ散り散りになるが、その末裔は日本へと辿り着いたのではないか。その証拠が、埴輪の意匠だと言うわけである。

遺伝子にあるY染色体は父から息子へと男性に受け継がれるものだが、日本人のY染色体の40%にはYAPと呼ばれる特徴的な遺伝子配列が観られるのだという。

素人なので伝聞話を詳述できないが、このYAPという遺伝子配列の特徴が、古代ユダヤ人の人々の末裔に観られるのだと。

博物館をひとまわりして、あらためて丘の〝埴輪たち〟を眺めると、背景を飛ぶ外国からの旅客機と相まって、異国情緒のような感慨が襲いかかってきた。

埴輪は、3世紀後半から6世紀後半にかけて盛んに作られた。

その中には「琴」を弾く埴輪ももちろんあった。

そして、日本の土木技術の粋である前方後円墳の出現とともに、埴輪はパッタリと造られなくなる。

いわゆる律令国家である日本の成立する前には、渡来したユダヤ人文化を形象していたかもしれない、あの豊かに表現された埴輪の習俗は跡形もなく消え去るのである。

京都・太秦の旅で触れたが、公式にユダヤ人国家であった弓月国の末裔と記録されている秦氏は、平安京造営など朝廷のもと重要な役割を果たしているが、その伝えられる習俗は既に日本人のそれ、であった。

渡来帰化人は、対岸のユーラシア大陸各地から到来しているが、秦氏の系統は間違いなく数も多く主流である。

埴輪は、その秦氏の先祖の一族が日本各地に赴いていたことを示しているのではないのだろうか。

異国の習俗を湛える埴輪とともに芝山の丘に立っていると、また一機、頭上にエンジン音をとどろかせながら異国のマーキングを施された旅客機が、すぐ隣町の滑走路へ向かって消えてしていった。

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