大地、ものがたり(登呂前編)

須山浅間神社参道

早朝から雨は降り続いていた。

高速は御殿場で降りて富士の裾野を走り、須山浅間神社に立ち寄る。

まるで誇張して描いたかのような巨木、その合間に築かれた参道や神殿を、山の精霊が包み込むように雨飛沫が覆っていた。

縄文の日本に渡来した人々が弥生の文明をもたらした。その中心は米作であったと言えるのだろうが、その祖先の痕跡に筆者は触れたくなって、筆者は東京から出発していたのである。

富士市のあたりから国道1号線バイパスに入る。ほとんど信号の無い高規格道路は空いていた。工場と町を抜けると駿河湾に沿って走るが、雨足はますます強まり、沖の方は霞んでいる。

静岡の地形は山地が海のすぐそばまで張り出していて、海と山との間の僅かな平地に街が形成されている。国道1号線を走っていると小漁港がいくつも出現してくる。太古からつい最近まで、人々は街と街を舟運で結んでいたはずである。

三保の松原で著明な半島にある清水港の、目についた中華店で定食を食べて、さらに1時間、車を飛ばすと目指す登呂に着いた。

そこは、何の変哲もない街並みの中に、ぽっかりとエアポケットのように田園が広がっている、不思議な空間だった。

登呂のムラにて

傘を差して濡れた畔道に踏み出してみたが、思ってたより踏み固められていて安心した。

当時のムラの倉庫や住居を再現したとこれまで、かなり歩かなければならない。田園は刈り取られた後のままの状態で、中心を用水路が流れている。

水たまりを飛び越えるようにして、ようやくムラの場所に到着した。竪穴式住居、高床式倉庫は学校での歴史学習でお馴染みのものである。

住居であったことを示す地形が幾つも見られ、結構な規模の集落であったことが伺える。

雨は依然として強く、広大な遺跡に、訪問客はまばらだった。ムラの散策をそこそこに切り上げて、筆者はまたぬかるんだ道を、隣接する博物館の建物を目指して歩いた。

例によって筆者は登呂についての学習不足であって、弥生の象徴である米作の痕跡が観られれば満足するつもりだった。

が、意外なことに、筆者の旅の本質に迫る出土品が登呂の博物館に待っていた。

何ということも無い板の切れ端を、筆者は危うく通り過ぎるところで、目に飛び込んできた文字に、強力な力で引き戻された心地がした。

……銘板には「重要文化財 槽作り琴」とあった。

槽作り琴
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