大地、ものがたり(岩宿前編)

箏のルーツを探る旅は、日本人の記憶を遡る道程でもある。

「鹿島」に垣間見える古代日本に、秦氏のように日本を目指したディアスポラ、渡来人達の文化が折り重なり、今に続く日本文化が育まれてきたことをここまで述べてきた。

さらに旅を深化させて、日本の本質に触れてみたいと思う。

過去の歴史を探る旅は、想像力を働かせることが肝要であるけれども、旅先で触れる事物はとても具体的だ。

その具体的事物に遺された痕跡が物語る、我々の祖先の姿を垣間見させるのは、想像力ではなくて感性だと思う。

筆者には想像力にも感性にも自信が持てず、だからこそ、もっと近づいて事物に触れるべく旅に出るのだ。

日本文明の萌し、そこに想像を巡らせた時、すぐに行くべき場所は決まった。

陽射しは春日だけれども、風はまだ冷たかった。山の向こう側は春先の降雪に見舞われてるはずだ。

その山の麓、赤城神社に立ち寄る。

三夜沢赤城神社にて

赤城神社の祭神は赤城神であり、カルデラ湖とその外輪山全体が御神体である。

山岳信仰は古くからあり、日本における人々の営みと共に形成されたものである。古代日本人の心の在り方が、そのまま神道の様式を身に纏っているように感じる。

鹿島神宮が人間の精神の深淵の顕現なされたものだとすれば、山の神は大地そのものの息吹であると思われる。

赤城神社参道から麓方向を望む

冷たい赤城颪が参道を向かう方から真っ直ぐに吹き下ろしてくる。手水の湧き水を口に含むと、全身に染み渡るような清浄と静寂を感じた。

沖積平野である関東の北端に位置する、一連の山々が形成されたのは五十万年前の噴火に遡るとも言われる。

その頃、人類はアフリカに発生して世界各地へ旅を始めていた筈である。

日本列島の自然は人類の到来を受け入れた。

赤城山も、日本人の祖先が関東に到来し、そこへまたまたディアスポラが加わって栄えてきた人々の歴史を見守ってきた。

山岳信仰は、人間の精神活動に深く関わる天文現象と対をなす大地の生命への、人々の畏敬である、と筆者は思う。

さて、岩宿は赤城神社から車で30分の行程だ。

赤城山の等高線に沿うような広域農道を東へ走ると、時折、関東平野がずっと見通せる景色を見ることが出来る。麓では冷たい風が吹き下ろしてるとは言え、遠景の平野は霞んで春の空気に覆われているようだ。

東から向きを変え南進、等高線を直角に山を駆け下りていく。やや平野になりかける当たりの丘陵が岩宿遺跡だ。

相も変わらず、下調べをそこそこに思い立ってやってきたので、果たして、遺跡に併設する施設は全て閉まっていた。そう言えば、赤城神社の社務所も臨時休業だった。

しかし、岩宿で大事なのは、磨製石器群を発見した丘である。

実は資料館のある広大な公園を一周して休業に気がついた後ではあったが、あらためて車に乗り公園の駐車場を出て、木々に覆われた丘の切り通しを走り抜けると左手に稲荷社の朱の鳥居があった。

まさにそこが文明発祥の証とも言える磨製石器の、発掘現場だった。

岩宿遺跡
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