オリエント、太陽へ向かって(ディアスポラの音楽編)

神の声、予言者の歌

『L’Esprit de Dieu et les Prophetes』というCDアルバムが手もとにある。

神と預言者の精神、という意味のようだがアルバムに付されたブックレットには翻訳者により「神の声、予言者の歌」ヘブライ語による旧約聖書の歌唱、とある。

10曲からなるアルバムを歌い上げている、歌手のエステル・ラマンディエはブックレットに楽曲の詳細を述べている。

それによると……古いヘブライ語の旧約聖書のテクストの母音の上または下には、テアミムと呼ばれる19種類の記号が書かれている。これは朗唱する時の音楽的な意味を持つ記号であったが、紀元70年のエルサレム教会の没落とともに意味が失われたのだという。

1970年代になって、現代フランスの研究家で作曲家でもあるシュザンヌ・アイク=ヴァントゥーラの研究により不明となっていた記号、テアミムの解明が可能になった。

このテアミムはキロノミーと呼ばれる、手振りによる合図にも替えられる。レビたちの間で聖歌歌唱の主導者たちが用いた一種の記憶術であったキロノミーは、紀元前2600年のエジプトでも既に用いられていた、古い歴史を持つものである……。

今からざっと四半世紀前、学生時代を京都で過ごしていた筆者は四条河原町近くの店で、貼り付けられていたわずかな日本語の案内とジャケットにつられてこの輸入盤アルバムを買い求めたのだった。

ラマンディエの歌唱により、〝そのまま〟再現された聖書の世界は想像を超えた美しさだった。

※本アルバムは現在では廃盤となり入手困難ですが、筆者のYouTubeチャンネルにおいてダイジェストを聴けるよう公開しています。https://youtu.be/lgOrwOfT-zI

若い頃、聖書の世界に惹かれて教会の門を叩き、聖歌隊の活動に熱中してそのまま洗礼を受けてしまった筆者にとって、ラマンディエの歌声は格別に響いたようで、さんざ持ち歩いて聴いたものだった。

さて、聖書の世界やラマンディエの歌に垣間見られる音楽芸術を生み出したユダヤ人たちは、キリストの出現以降、ディアスポラ(離散民族)となり東西へ散らばることになる。

イスラエルは、ヨーロッパとアフリカ、そしてオリエントを結ぶ交点という、大国の覇権が交錯して小国や少数民族が生き残るには厳しい地政学的な位置にある。

言い換えれば、世界へ通じた土地に住んでいたユダヤ人たちは独自の信仰を核としながら、多くの民族の言語を身につけ、絹織物など高価な品々や知識を商い、彼らの拓いた交易路を旅して生計を立てていたのである。

そうした使い慣れた交易路を、国を追われディアスポラとなって移動し、ヨーロッパ各地へ到達した彼らはその土地の民族文化と交流を深めていく。ユダヤ教転じてキリスト教となった彼らの信仰はローマ帝国の国教ともなり、各地の土着宗教を呑み込むようにヨーロッパ全土を席巻していった。

一見、版図がキリスト教に制圧されたように見えるヨーロッパではあるが、例えばかつてはヨーロッパ大陸各地にあったとされるケルトのドルイド(呪術師)を中心とした精霊信仰も、ハロウィンなどの行事等にその痕跡を留めている。

しかし、古代ユダヤ人の文化はキリスト教とともにヨーロッパ文化の基底部へ影響を与えていく。例えば聖書の朗唱は中世キリスト教のグレゴリオ聖歌などにも影響が見られ、それがヨーロッパ・クラシック音楽の源流を形成していくのである。

ところで、ディアスポラとなったユダヤ人には、東方へと、交易路であるシルクロードを太陽の方向へと向かった人たちもいた。

……ここで、ひとまず話は現代に飛ぶ。

21世紀へと変わって間もない頃、筆者は聖歌隊指導者だった小学校の校長先生に、ある牧師の講演を記録したカセットテープをもらっていた。

クリスチャン・ホームで育って、のような素養のないまま突然に洗礼を受けた筆者は、学生時代には青年会や教会学校など教会の活動へのめり込んでいた(教会仲間と遊び歩くのも楽しかった)のだが、聖書を学び、たくさんの牧師と交流する中で不満(疑問)も溜まっていた。

と、いうのも日本の神々とキリスト教の唯一神の「神」とを引き合いに出して、だから多神教である日本の信仰は間違っているのだ、という感じの主張がよく聞かれた。が、そもそも文化の基盤の異なるところで、日本で言う神々の神、と英米文化である現代キリスト教の神とでは比較の仕様がないのではないのか、という素朴な疑問があった。

東洋にもブラフマン(梵天)という宇宙の源となる絶対神は存在するが、それは八百万の神々を否定するものではない。

旧約聖書には「神々」という言葉は使用されているわけで、概念的に日本古来の神々の概念とむしろ通じているように筆者は当時考えていた。「神」をあえて絶対化することはむしろ、ユダヤ人であったキリストの意から離れた政治的な作為なのではないのか、と。

と、そんな若者の青い主張をマトモに聞いて下さったのか、はるかに年下の筆者を音楽仲間・友人として交流してくれていたその先生から、件のカセットテープが渡されたのである。

それは、日本の中世にキリスト教が伝来した、そのはるか以前に既にキリスト教は到来していたのだ、という驚愕の内容だった。

キリスト教が伝来したのは1549年のフランシスコ・ザビエルという西洋人によるものが初めて、と教わっていたわけであるし、その後廃れたものの、明治になってかやら英米から多数の宣教師が来日したという事実は常識であった。

筆者が洗礼を受けたのは高崎にある教会であったが、勝海舟の揮毫による「西教会」の看板が遺されていた。つまり、キリスト教とは西洋文化と同義に等しく、東洋周りでキリスト教が伝来してきた、という話は全くの意外なものであったわけだ。

麗らかな春日(だったと思う)、筆者は、その痕跡を確かめるために講演に紹介されていた土地、つい数年前には下宿していた京都の町へと舞い戻っていたのである。

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